接触

文学、本、映画、絵画の話をしようと思います。あとは日記ですね

愚行を犯すという自覚

僕は山口達也を批判する気になれない。だからといってそれを、ツイッターで口にする気にもなれない。

そして、僕はいつだって弱者の味方だなんて、つまらない常識人の嘘をつく気は、まったくない。あまりに俗っぽい動機を告白したところで、さっほく本題に入ろう。

 

 

‪そもそも、他人の色恋沙汰を会話のネタにするなんていうのは、愛の機微を忘れた、無垢で無粋な子供たちにのみ許された蛮行だ。僕たちはいつまでも子供ではいられない。

なぜなら僕たちはいつだってうつくしくありたいし、洒脱な軽さを忘れないでいたいからだ。子供はみな無粋だ。逆にいえば、無粋でなければ子供ではない。恋の機微を知ったときから、ひとは誰にも知らないまますこしずつ大人になる。

つまり、だ。芸能人のスキャンダルに正論をふりかざすなんて愚行は、誰も本心から望んでやることじゃない。

 

いまの僕には長々説教を垂れる時間はない。恋人と愛撫しあう時間はあるけれど。ここではひとまずこの世界を生き延びる僕たちが、うつくしく、洒脱な軽さをたずさえているために大切なことだけを、簡単に述べておくにとどめよう。

 

「どっちが悪くてどっちが良い。どっちが加害者でどっちが被害者」なんて物言いは、言うまでもなく無粋だ。だけど僕たちは、気づかないうちに無粋で醜くなってしまうから、ひとり思いつめるための静寂を、ひとりだけの夜に、こっそり大事にしておかないといけない。

 

白黒をつけて外野から一家言を述べたがる真面目な人々がこの世界には腐るほどいる。だからこそ僕たちにはみんな、静寂のなかに秘密をもつ権利がある。‬ドアを閉めて、椅子にかけよう。いうまでもないが、そこに音楽はいらない。

 

ひとりきりの静かな夜。それこそ、この世界を生き延びる僕たちがうつくしく、洒脱な軽さをたずさえているために、ただひとつ必要なものだ。

不可能

余るほどお金がたくさんあって、背がすらりと高くて、顔も肌もまるで綺麗で、声には透き通るような凛々しさがあり、疲労の色もまるでない若さだけが、この世界で唯一正しいかのように思えて仕方がない。というまるで19世紀フランス文学の呪いが未だに解けていない、21世紀に生きる、あわれで、凡庸で、無分別なアジア人の滑稽な人生の一ページにふと、ひとしずくの涎(よだれ)が。

時計屋

 遅刻魔の汚名を返上するべく今日こそはと、移動時間を15分ほど多く見積もったまま玄関のドアノブを握る。18時45分に到着するにはあまりにも早く家を出すぎたような気がして、すべての遅刻魔を常習的な遅刻へと駆り立てるあの「不気味さ」に似た、時間通りであることへの不安をかかえた僕は、駅前の古い眼鏡屋に向かった。どのくらい古いかというと、その眼鏡屋は僕が生まれた頃からある。つまり眼鏡屋は23年間以上、JR京浜東北線川口駅から150mほど離れた60畳のコンクリの上に、80年代チックなデザインの電光看板を引っ掛け続けているのだ。ガラス製のドアにはA4のチラシがちょうど僕のへその位置くらいに貼り付けられていて、虹色の安っぽいフォントで「時計の修理受け付けてます」とプリントされている。まあ、その眼鏡屋が時計の修理自体受け付けていたのは以前から知っていて、(なんせ僕は、この眼鏡屋の前を17年間ほぼ毎日通りすがり、その度ショーケースに目をやっているのだから)あまりに見慣れてゲシュタルト崩壊しかかってる文字列を載せたチラシを視界におさめながら、僕はちょうど自動ドアの手前30cm、中央にその身を運び切ることに成功した。

 眼鏡、じゃなかった、時計の修理には10分もかからなかったのだが、修理屋のおっちゃんは「この腕時計はかなり古いので、生活防水機能が切れてます。だから夏場の汗にも気をつけてください。」と慎重かつ、利用者の不満を回避するために重要な提言を、たかが学生の僕に向かって差し出した。おっちゃんは僕の前で、バンダナほどの大きなクロスで何度も修理を終えた腕時計を拭く。実際のところ、時計屋というのは有史以降地球上に存在する中で、もっとも魔法使いに近い仕事だ。おっちゃんのストロークには間違いなく玄人の魔法使いのそれと同等の熟練したテクニックが秘められていて、僕の腕時計はクロスで拭われるたびに輝きを増す。ルビー色の文字盤とシルバーのブレスレットを見つめるたび、僕はいまでも強烈な魔法に魅了されてしまい、肝心の文字盤に焦点が合わないことがたびたびあるくらいだ。世界で一番僕をワクワクさせてしまう魔法のかかった時計をつけた僕はあまりに有頂天になって、とびきり飲料が安いスーパーへと足を伸ばし、200mlのアップルジュースを税込54円で買ってしまった。魔法が僕の身体に馴染んだ頃にはちょうど、今から電車に乗って待ち合わせ時間より5分遅刻するくらいの時間になっていた。

わかりうるという安心から距離を置くために

 「今日の飲み会では自分の話ばっかりしちゃったな、どうして落ち着いて人の話を聞けなかったんだろう」とか「自分の話を理解してもらうためにわざわざ用意したはずの例え話なのに『よくわかった』っていう得意げな聞き手の顔を見ると、なぜかモヤモヤしてしまう」だとかいった、僕個人の日常にはりつく等身大の葛藤が「自意識過剰」「他者」という抽象語のもとに、人々があまねく共有していることを前提とした普遍的な認識へとすり替わっていく。

 つまるところ抽象的な言説とは、ひとりひとりの視点に基づいて別個の体験に生きる人々が、孤独と苦悩に荒んだ心を癒すために創り出した、共同の休息地なのだ。孤独のうちに葛藤を抱え込むことに耐えきれなくなった多くの人々が安息の地に選んだだけあって、抽象の言説においては聞き手と話し手の「わかりあえなさ」を物語る深淵はもうすっかり姿を消してしまったかのようにみえる。 

 ところで、ここでもし読者が、この段落で繰り広げられた抽象的な言説に対し「それ本当かよ?」と懐疑のまなざしを向けたとしても、それは抽象のレベルで繰り広げられた言説内部の論理的整合性を訝しんでいるのであって、言説の内容それ自体が絶対的に「わかりえない」理解不可能な異物として読者の前に屹立しているわけではない。つまりあなたは、抽象的な僕の話を確実にわかりうる

帰り道

友達を誘って渋谷で映画を観た。その友達というのはシリア人で、僕はたまたま食事会で彼と知り合ったのだけど、映画の話やらでわりと意気投合したり、言葉を慎重に選びながら考えたことを伝えようとしてくれるようないいやつで、僕はふと思い立ち、一緒に映画を観に行こうと彼を誘った。


渋谷のアップリンクで『エンドレス・ポエトリー』を観た。もちろん、ハリボテの演出には口を開けて笑った。(笑い声は無声音に抑えた。だから上映中の雑音が気になってしまう神経質なひとも安心してこの文章のつづきを読み進めてほしい。)


映画を観終えてトイレも済ませ、アップリンクのむかいのローソンの前で僕が寒さに震えていると、彼はタバコに火をつけながらシリアにいたころの親友の話をしてくれた。
彼の親友は天才で、6ヶ月消えてヨーロッパ映画史に名を連ねる映画作家の作品を大量に鑑賞、記憶したのちに再び姿を現したり、3ヶ月消えて英語をマスターして南アフリカの大学の奨学金を得て留学した、などなどの逸話があるらしい。

彼曰く、彼の親友は「自分自身」にその後の関心を向けるようになる。薬物にのめり込み、学問から遠ざかり、周囲の期待と失望に耐えきれずに、彼の親友は自ら命を絶った。

僕は死というものをまったく知らない。22歳になったいまも両祖父母は健在で、ついこのあいだまで馬鹿話を交わしていた友人が死んだ、という体験もない。だから彼の話を聞いて、共感も身を震わせるような動揺もなかった。うまい相槌も見つからなかったし、とはいえ沈黙も安っぽく聞こえてしまう。

まだ身の回りの人が死んだことないんだ、と言うと彼は僕の戸惑いを察して「僕はいま全然平気だよ。いまも彼女は僕の中で生きてるから。」と真面目な顔つきでよどみなく話した。

 

そのあとラーメンを食べに行った。その店の味噌ラーメンは1000円近くする割に全然美味くなくて、店を選んだ手前、少し恥ずかしい心持ちがした。
ラーメンを食べながら、社会人になったらどんなことがしたい?卒業旅行はどこに行く?いま恋人はいる?なんて質問をしあいながら、思うことや悩みを伝えて「わかる」「困るよね」と眉をひそめながら相槌した。

 

彼はきょう僕に会ってから3回も「もっと自信持ちなよ」と言った。人は自信を持つ人について行きたくなるらしい。
ひとりぼっちだったころの思い出を未だに大事にしている22歳の僕は昔の僕と同じようにいまひとりぼっちでいる人の気持ちがわかるようになりたいと思っている。だけど他人の気持ちはわからないし、出来てないことにあまり自信は持てないので、当分人を連れて歩くことはできないなと思った。

ひとり帰り道を歩いていると「僕の中で生きてる」という彼の言葉をふと思い出した。もしかしてそれは、彼が彼の親友といまも一緒にいるってことなのかなと思ったら涙が出てきた。

何が良いのかは本人が決められるようにしてあげろよな

確か夜6時ごろにゆっくりと右に傾いた自転車が右隣の自転車に寄りかかって、結果3つの自転車が地面に倒れた。それで車輪や金属の衝突やらが立てた音の数々にひっぱられるみたいに左後ろを振り向いてしまったのだった。

セブンイレブンの前で鳴り響いた音の塊に惹きつけられて、倒れた自転車と自転車を倒したおばさんに対してスプーンひとさじの憐憫がいりまじった視線を向ける人たちのうち、6人くらいは歩くスピードをゆるめた。おばさんは音自体にたいして驚いてもいないのに「あらあら」と驚いたふりをしていた。「私は憐れでもなく、気を使われる必要もありませんよ」と言い訳でもしているみたいだったけれど、おばさんの声には平静を取り繕おうとするときどうしても人間の声色に溢れ出てしまう緊迫が入り混じっていて、しかもそれはあの場にいる誰もが認めていた。

 

僕はその日たまたま人に何を言われるかとか何を思われるかっていう心配よりもなんとなく身体が先に動くような気分でいたから(そういう日はだいたい何があっても気分がいい)、何の気なしにおばさんが倒した自転車に歩み寄って自転車を立てようとした。でも自分のカバンを地面に置いた後にはっとして、おばさんの顔色を伺いながら、ゆっくりと自転車を縦にした。

「あら!ありがとうねえ〜!」と、ちょっと少し驚くぐらいに大きな声でおばさんはお礼してくれた。僕は安堵して目をすこし細めて口角を上げながら「いえいえ〜」と返事したあとに、おばさんに顔を向けていたので地面には視線を当てないまま右手を左右に動かして自分のトートバッグを探っていると、もう一度おばさんは「ありがとねえ」とお礼を言ってくれた。

また何か返事しなきゃとおもって口からスッと出た「良い1日を」って言葉には自分で驚いちゃったけれど、帰り道はそれでなんだかワクワクした。人の幸せを願う言葉って普段発することないから。それに、思いがけずに発した使い慣れない言葉を耳にしたときの新鮮な感覚も気持ちいいもんね。

ところで耳慣れない言葉使うとアホ扱いされてしまうけどあれには無視できない恥ずかしさがある。外国語の授業で味わうあのなんとも言えない猛烈な恥ずかしさと少しだけ似ている。

 

(今年の9月ごろ生まれて初めての海外旅行から帰ってきて、それからすぐに高田馬場の歩道で起きた出来事の話を思いだしました)