接触

文学、本、映画、絵画の話をしようと思います。あとは日記ですね

何が良いのかは本人が決められるようにしてあげろよな

確か夜6時ごろにゆっくりと右に傾いた自転車が右隣の自転車に寄りかかって、結果3つの自転車が地面に倒れた。それで車輪や金属の衝突やらが立てた音の数々にひっぱられるみたいに左後ろを振り向いてしまったのだった。

セブンイレブンの前で鳴り響いた音の塊に惹きつけられて、倒れた自転車と自転車を倒したおばさんに対してスプーンひとさじの憐憫がいりまじった視線を向ける人たちのうち、6人くらいは歩くスピードをゆるめた。おばさんは音自体にたいして驚いてもいないのに「あらあら」と驚いたふりをしていた。「私は憐れでもなく、気を使われる必要もありませんよ」と言い訳でもしているみたいだったけれど、おばさんの声には平静を取り繕おうとするときどうしても人間の声色に溢れ出てしまう緊迫が入り混じっていて、しかもそれはあの場にいる誰もが認めていた。

 

僕はその日たまたま人に何を言われるかとか何を思われるかっていう心配よりもなんとなく身体が先に動くような気分でいたから(そういう日はだいたい何があっても気分がいい)、何の気なしにおばさんが倒した自転車に歩み寄って自転車を立てようとした。でも自分のカバンを地面に置いた後にはっとして、おばさんの顔色を伺いながら、ゆっくりと自転車を縦にした。

「あら!ありがとうねえ〜!」と、ちょっと少し驚くぐらいに大きな声でおばさんはお礼してくれた。僕は安堵して目をすこし細めて口角を上げながら「いえいえ〜」と返事したあとに、おばさんに顔を向けていたので地面には視線を当てないまま右手を左右に動かして自分のトートバッグを探っていると、もう一度おばさんは「ありがとねえ」とお礼を言ってくれた。

また何か返事しなきゃとおもって口からスッと出た「良い1日を」って言葉には自分で驚いちゃったけれど、帰り道はそれでなんだかワクワクした。人の幸せを願う言葉って普段発することないから。それに、思いがけずに発した使い慣れない言葉を耳にしたときの新鮮な感覚も気持ちいいもんね。

ところで耳慣れない言葉使うとアホ扱いされてしまうけどあれには無視できない恥ずかしさがある。外国語の授業で味わうあのなんとも言えない猛烈な恥ずかしさと少しだけ似ている。

 

(今年の9月ごろ生まれて初めての海外旅行から帰ってきて、それからすぐに高田馬場の歩道で起きた出来事の話を思いだしました)