接触

文学、本、映画、絵画の話をしようと思います。あとは日記ですね

帰り道

友達を誘って渋谷で映画を観た。その友達というのはシリア人で、僕はたまたま食事会で彼と知り合ったのだけど、映画の話やらでわりと意気投合したり、言葉を慎重に選びながら考えたことを伝えようとしてくれるようないいやつで、僕はふと思い立ち、一緒に映画を観に行こうと彼を誘った。


渋谷のアップリンクで『エンドレス・ポエトリー』を観た。もちろん、ハリボテの演出には口を開けて笑った。(笑い声は無声音に抑えた。だから上映中の雑音が気になってしまう神経質なひとも安心してこの文章のつづきを読み進めてほしい。)


映画を観終えてトイレも済ませ、アップリンクのむかいのローソンの前で僕が寒さに震えていると、彼はタバコに火をつけながらシリアにいたころの親友の話をしてくれた。
彼の親友は天才で、6ヶ月消えてヨーロッパ映画史に名を連ねる映画作家の作品を大量に鑑賞、記憶したのちに再び姿を現したり、3ヶ月消えて英語をマスターして南アフリカの大学の奨学金を得て留学した、などなどの逸話があるらしい。

彼曰く、彼の親友は「自分自身」にその後の関心を向けるようになる。薬物にのめり込み、学問から遠ざかり、周囲の期待と失望に耐えきれずに、彼の親友は自ら命を絶った。

僕は死というものをまったく知らない。22歳になったいまも両祖父母は健在で、ついこのあいだまで馬鹿話を交わしていた友人が死んだ、という体験もない。だから彼の話を聞いて、共感も身を震わせるような動揺もなかった。うまい相槌も見つからなかったし、とはいえ沈黙も安っぽく聞こえてしまう。

まだ身の回りの人が死んだことないんだ、と言うと彼は僕の戸惑いを察して「僕はいま全然平気だよ。いまも彼女は僕の中で生きてるから。」と真面目な顔つきでよどみなく話した。

 

そのあとラーメンを食べに行った。その店の味噌ラーメンは1000円近くする割に全然美味くなくて、店を選んだ手前、少し恥ずかしい心持ちがした。
ラーメンを食べながら、社会人になったらどんなことがしたい?卒業旅行はどこに行く?いま恋人はいる?なんて質問をしあいながら、思うことや悩みを伝えて「わかる」「困るよね」と眉をひそめながら相槌した。

 

彼はきょう僕に会ってから3回も「もっと自信持ちなよ」と言った。人は自信を持つ人について行きたくなるらしい。
ひとりぼっちだったころの思い出を未だに大事にしている22歳の僕は昔の僕と同じようにいまひとりぼっちでいる人の気持ちがわかるようになりたいと思っている。だけど他人の気持ちはわからないし、出来てないことにあまり自信は持てないので、当分人を連れて歩くことはできないなと思った。

ひとり帰り道を歩いていると「僕の中で生きてる」という彼の言葉をふと思い出した。もしかしてそれは、彼が彼の親友といまも一緒にいるってことなのかなと思ったら涙が出てきた。